プロデュースとはものごとを生み出すことです。映画などを制作する人をプロデューサーといいます。それに対して監督など、そのものを演出したり指揮する人はディレクターと呼ばれます。そしてその輪の中にアレンジャーやマネージャーがいて、ひとつのものごとが生み出されていきます。
この夏ごろから、長女があることを企画し、プロデュースし、ディレクションしていく過程を傍らでつぶさに観てきました。それは長年の友人カップルに捧げるサプライズ・ウェディングです。
諸般の事情が重なりその二人は正式な結婚式を延ばしてきて、ほぼ10年近い歳月が経っていました。その10年の始まりの頃、娘夫婦は同じラグビー仲間に祝福されて素晴らしい結婚式を挙げていたのです。
まず10年前のラガーマンたち一人ひとりへの、真摯なコミュニケーションからこのプロジェクトは始まりました。当時は大学生であったり、社会人一年生だったラガーマンの多くが、すでに一児、二児の父親になり、勤務地も日本全国に散らばってしまいました。彼らの心を呼び戻し、青春の一時代への連帯感を思い出してもらうことが、この企画を成功させるための基盤だからです。
まずは練り上げられたラヴレター(プランニングシート)が発送されました。文筆は彼女のお得意技でよかったです。そしてその熱情は見事に功を奏し、思いもかけない賛同者の数に、よしいける!と判断したところから、サプライズウェディング・プロジェクトは粛々とスタートしました。
次なるは本人たちのうち、花婿の協力は不可欠となりました。つまりはこまごまとしたやりとりと、なにより当日の花嫁に恥をかかせないための配慮が必要だったからです。二人が10年前に出会った10月に、結婚婚記念の写真だけを撮ろうと夫は妻を時間をかけて説得していきました。ドレス選びも写真館も「俺にまかせろ!」と、かっこよい役割をもちろん彼は引き受けました。
そこからは協力してもらえる女性の人材を結集。一人は花婿の高校時代の同級生で、当時マネージャーをしていたメークアップアーティストの女性を。もう一人は後輩ラガーマンで司会進行を依頼することに決めた男性の妻。かねてから友人付き合いをしている三重県在住のセンス抜群の女性です。
彼女と娘は、まずは花嫁が着るドレスを夏のセール中に獲得しました。大人の雰囲気を持つ美人の花嫁に似合う、「カラー」のようなイメージのグラマラスなドレスです。このドレスの雰囲気を基に、一転、二転しながらも、最終的に堂島にあるNYテイストのカフェレストランの支配人に出会います。そこでレストラン経費がはじき出されました。遠路家族連れでくる人たちのために決定した参加費はひとり1万円。子どもは無料です。残る経費はほとんどありません。なんとかゴージャスで美しいセレモニーにするために、そこから娘の熾烈な自主制作の日々が始まりました。
シナリオの制作。役割分担。セレモニーを導く音楽の編集。そしてなんと当日の音楽の中からセレクトされた曲をCDにし、ジャケットのイラストを私の夫に依頼しました。ファンキーなムードでとの一言に、66歳の夫は「ナヌ!?」と首をかしげながらも、出来映えは上々。
そして前日にフル回転したのはフラワー・アレンジメントの資格を持つ次女。材料費のみの友情出演で、花嫁のブーケ、髪飾り、花婿のブートニア、ひな壇にかざるデコレーション用のブーケ、ビュフェを飾る大ぶりの盛り花を仕上げました。
お陰で体育の日の我が家はてんやわんや。午前中は孫の運動会。その後スイミングに連れて行き、全員で西宮へ移動。孫を預かる私。花屋の工房で夕方から缶詰の次女。とうとう盛り花は長女が作る羽目に。
そして最後に駆り出されたのはなんとこの私。花屋さんの冷蔵庫で保管したそれらの大切な花々を、翌日堂島にあるレストランまで車で慎重に運ぶ役目です。運転がうまいのだけが取り得の出番!?でもその役割のお陰で、私は娘たちの披露宴でラガーシャツ姿で盛り上げてくれた面々に、なんと10年の歳月を経て、今一度お礼を言うことができ、宴が始まる前の一瞬でしたが幸せなひと時をいただきました。
その後、何も知らないで会場入りをした花嫁の表情や、楽屋でそのハリウッド女優ばりのドレス姿になった麗姿などなど、大成功したという噂の作品をこれからビデオで見せてもらおうと思った矢先の、セレモニー翌日、なんとその新米プロデューサーは過労でダウンし、いま入院中です。今週末には学会での論文発表を控えていて、突然ストレスに見舞われたのでしょうか!?もちろん発表は断念。
プロデュース力とは、それを創り上げたいという情熱と集中力が為せる神業。そのパワーの恩恵を受け、短い入院ですむことを願うのみです。
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