『私の視点』
福田首相辞任について、3名の識者が書いている朝日新聞の特集ページを読みました。2名は大学教授で、1名はノンフィクション作家です。一国の首相退陣を論じるときの視点の違いがとても面白い記事でした。
●一人の大学教授は福田首相その人のパーソナリティに焦点を絞り提言します。
福田首相は、自分が起こしたのではない過去からの問題処理に追われ、やりたくもないことを押し付けられたという被害者意識が見えるという観点から論が始まります。
そして福田さんには実行力とメッセージ伝達力、その両方が欠けていたと指摘し、受け答えの運動神経のようなものを北京オリンピック金メダリストたちの軽やかな発言をを引き合いに出し、福田さんの空気の読めなさ、政治家として空気に表現を与えることができなかったと述べています。
●ノンフィクション作家の視点は街の声を総括したものです。
阿部さんに続く「やれやれ」感。次に続こうとしている政治家たちの名前を挙げての世襲政治家への不満。重要な問題が山積した日本社会を根本的に変革していく政治家たちの力のなさへの嘆き節です。しかしここでも語られているのが、人々に伝わる言葉についてです。「希望を生み出すのは言葉だ」「言葉は政治の武器でもある」とジャーナリストならではの主張をしています。
●私自身が一番関心をもって読んだのが、女性の大学教授の視点の大きさです。
前二者との違いは民主主義とは何かという原点に迫った点です。野党批判も、与党批判も、傍観者も、民主主義を掲げる国の政治家としての立場と足元、未来像がまったくわかっていないことから政治腐敗、政治不信は起こっていることがよく伝わる論でした。
そしてここでも印象的であったのが、「自民党が、真剣な言語的勝負の世界に身を置いたことがない政党」と述べている点です。
『派閥均衡による「共栄」を重視し、相対するものが徹底した議論によって決定的にぶつかることがないように政党を作ってきた。便宜的な部族連合みたいなものである。そうした中から、本物の「背水の陣」は生まれてこない』と糾弾します。
「背水の陣内閣」と政権を名づけた福田首相のあっけない幕引きに、実のところ言葉を失っていた私(ということは福田さんにはもう少し期待していたのかも知れません)は、女性学者のこのシャープな切り口に、やっと納得できました。
私の視点=My Viewpoint を持つことは生きている証。世の中は毎日動いています。どんな些細なことにも、「私はこう思う、考える」という視線、視点を持ち続けたいと思います。それが一般的ではなくても、少々焦点がずれていようとも、果敢であること。勇気を持って、”自分の言葉”で発言することが、「自分が自分であること」へのチェツク機能だからです。
言葉は身体の奥深くから零れ落ちてくる自分自身の細胞のひとつ、ひとつです。生きているから言葉を出せると思うと、愛しいものではないでしょうか!?
はらりと生み出された自分の言葉との対面を大切にしたいものです。
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