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年の瀬に

江戸時代の庶民の暮らしを描いた小説には、米びつの中を覗きながら、障子の隙間から入る冷たい風に震えながら、大晦日を過ごす場面があります。

連日の新聞やテレビからは厳しく、暗く、寒さが堪える年の瀬の様子が伝わってきます。一方では、空前のウォン安・円高に、韓国へショッピング旅行に押し寄せる日本人の姿も映し出されています。

この一年はまずガソリンの高騰に始まり、それはジェットコースターに乗っているような乱高下ぶりでした。やはり事態は尋常ではなかったのですね。秋の初めにはサブプライムローンの破綻に緒を発していたアメリカ経済が完全崩壊し、アッという間にそれは円高という刃で日本の車産業を直撃、いまや派遣社員の首切りという前代未聞の出来事が現実化しています。

日本にもIT長者が台頭し、格差社会が生まれたのは、この10年間の出来事です。そんな社会の対極にはニートや引きこもり問題が裾野を広げ、企業は実力主義の名の下に企業倫理や企業責任を見事に転嫁し続け、大量の非正規雇用者層をつくり上げました。そしてその無責任な非正規雇用制度のつけが、対岸の火事をあっという間に引き寄せてしまったのです。

このことを通して私は、龍村仁さんの一大叙事詩ともいえる映画「地球交響曲・ガイアシンフォニー」第五番の出演者、アーヴィン・ラズロの言葉を思い起こしました。ラズロの提案する「量子真空エネルギー場」理論です。「全ての存在は繋がっている」という考え方が、イタリア・トスカーナ地方の長閑な住まいを背景に語られました。それは、まさに時空を超えた出来事を科学的に証明する映像でした!

例えば、大晦日に心の整理をしながら沸と湧き出てきた言葉をある人に届ける。その人はまた何かの折に誰かに伝える。その言葉は瞬時に何十ヶ国語にもなって自由に羽ばたき、ある場所でとてつもないものが生まれるきっかけを作っているとしたら、ワクワクしませんか。

「真空エネルギー場」とは、なんと「人間の意識」をキャッチするのです。このことを知ったことにより、物理学はものすごく身近に感じられるようになりました。「宇宙は記憶を持っている」なんて言葉を得ると、「温故知新」なんて四字熟語を編み出した先人の深い見識に脱帽します。

21世紀に入り、経済のグローバリゼーションとインターネットが地球を網羅する世界では、世界同時不況という恐ろしい結果を生み出すことにもなりました。

しかしラズロの言う「量子真空エネルギー場」理論に照らし合わせるなら、人間即ち宇宙は、人間が作った機械やシステムに駆逐される程ちっぽけなものではないことを、一層明確にしているように思えるのです。そう考えることで、未来を強く信じることが可能です。

アーヴィン・ラズロは1932年ハンガリー生まれ。世界賢人会議である「ブタベストクラブ」を主宰する、哲学者であり、物理学者であり、そして若いときは天才ピアニストでもありました。

新年は彼の著書を読むことからはじめてみたいです。

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静かにクリスマス

「クリスマスパーティーという名の下の集い」は毎年長女宅に招かれます。今年も家族が全員揃い、長女の友人も交えて賑やかに過ごしました。これはこれで素敵な習慣です。

25日の今日は一人静かにクリスマスを過ごしています。子どもたちがいない生活になってからも、12月に入るとクリスマスの飾り付けをします。

今年は題して「動物たちの森のクリスマス」。家にあるだけの陶器やらガラスやらの小さな動物たちを集めて、数年前に友人から届いた地球が飛び出す仕掛けになっているクリスマスカードの周りに集わせました。その円周には木の汽車も走らせて、ドイツで手に入れたドールハウス用のオーブンからは、美味しいクリスマスフードが匂いたつようです。

こんな風にインテリアとしてのクリスマスはとても楽しいのですが、キリスト教の歴史や信仰については何も知らないことを、どこかで面映い思いをしていることも事実です。

ドイツのクリスマスマーケットに押し寄せる日本人観光客は多いと聞きます。そのほとんどが西洋のクリスマスのムードを楽しむことが目的でしょう。しかしそれらを伝える映像からは、背景にキリスト教の歴史の重みがドッシリと伝わってきます。

ドイツのニュルンベルクのクリスマスマルクトでは人々が重なり合うようにして、”クリスキンド”の荘厳なメッセージに聴き入ります。クリスキンドとはゴールドの髪をした美しい少女です。この少女がクリスマスイブに子どもたちへプレゼントを配ると言われています。

イギリスやアメリカに習う日本では、聖ニコラオスに由来するサンタクロースがイヴの夜、子どもたちの枕元へやってくることになっています。

「クリスマス物語」については、なぜ靴下を吊るすのかなどなど、幼いときに絵本で知った知識しかありません。イエス・キリストの生誕について、カソリックとプロテスタントについて、その後のヨーロッパの国々のキリスト教信仰の変遷について、知識として知るだけです。そこにはあまりにも巨大な壁が立ちはだかり、とりわけ西洋文学を読む上で、いつもその深い川を渡ることが出来ないでいます。

この暮れに英会話の忘年会で、クリスチャンの日本人と外国人のお二人のお話を聞く機会がありました。クリスチャンが日々神に対峙する感覚をじっくりお聞きしました。イエスキリストの存在と死、そして原罪という感覚は頭で理解できたとしても、クリスチャンとして歩んでいない身には十分に伝わってくることは不可能です。

私自身は宗教的感性でものごとを感じるほうだと思っています。しかし世の中にはごまんという宗教があり、お互いに主張しあっています。戦争さえ辞さないパワーです。その中でキリスト教徒の数は全世界人口66億人のうち約20億、つまり4分の一です。その次がモスリム、つまりイスラム教。仏教徒はヒンズー教徒よりも少ないのだとか。

宗教とは何なのか。それらの根本的な違いは何なのでしょうか。特別な信仰を持たないでも生きているという現実を、クリスマスの日に考えています。

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ゆらゆらと日の影動く障子かな

夫が和室の障子を張り替えました。ピンと張られた真っ白い障子はなんと清々しいことでしょう!そこに冬の朝の暁光があたり、まるで影絵のように光が揺れます。

「瑠人が来て早速破らないといいけど」と言う夫に、実はロッキングチェアの肘掛で突いたのは私と告白。ウルトラ腕白の孫のせいにして年を越すわけにはいきませんから。それに孫は自分ではないことをすでに母親には宣言していたらしいのです。

11月生まれの孫の4歳から5歳へのこの一年、それは目を見張る成長の時間でした。まさに暴徒と化した4歳。暴言もピークに達した後、最近、彼から出てきた言葉に仰天しました。

まずは「大きくなったらじぃじぃのようになりたい」。「何でも作れて、何でも直せるから」が理由だそうです。

そのあとに続いたのはまさに祖母への褒め殺し。「ばぁばぁが瑠人を幸せにしてくれていることを僕知ってるからね。」「大きくなったらばぁばぁのようにお料理が上手になって毎日手伝ってあげる」「ばぁばぁは若いときも可愛かったけど、いまも可愛い!」そして「大学生になったらばぁばぁと一緒にアフリカに行ってあげる」と、延々ばぁばぁを主語にまさにこの通りの言葉で喋り続けたのです。この語彙の豊かさに一瞬耳を疑ったほど。傍らに居た娘や夫も驚きを隠せない様子で聞き入っていました。

子供は素晴らしい耳と目をもっています。油断大敵です。自分が十分に話せないときにも、話しかけられている内容をすべて脳裏に刻み込んでいるのですね。それがはっきりしました。なぜなら「大きくなったらアフリカへ一緒に行こうね」って、孫が1歳くらいのときから私は確かに話しかけていたからです。どうもそのとき、祖母のことを自分が責任を持って連れて行くべき老人だと理解したらしく、褒め殺しの言葉には「働いてお金をためないといけないので、大学生にならないと行けない」とまで付け足しました。

この孫と祖父母が今年一緒に達成したことは、孫が自転車に乗れるようになったこと。夏ごろからコマを付けてスタートし、通算3回ほどでコマが外れました。それからは最初に押して加速し、止まるとまた押してやるという日が2回。そしてあっという間に、途中で止まったらペダルを踏みしめて乗り継げるようになりました。

いまや凛々しいヘルメット姿の走行を目を細めて観る観客です。彼も自転車の醍醐味を覚えたようで、いまでは自分で自転車を引いて、サイクリングロードまで洋々と歩いていきます。

こんな速度で成長、変化するものを観る幸せはちょっと比類がないかもです。

というわけで今日は納め句会、タイトルの句に加えて数句を仕上げました。お気に入りは次の一句。

紡ぐ糸よき色となり年の往く

冬晴や南の空も北空も

初春や若干二歳六十路かな→還暦で人は生まれ変わるので私はまだ2歳ということに!

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天使がくれた干し柿

私がホームページの作成を依頼している”エンゼル企画”の田村さんから、それはそれは素晴らしい干し柿が届きました!おまけに柿茶まで。美味しい飲み方の栞までが添えられているではありませんか!!

すぐに賞味したいところですが、『田村柿』と、ひとつひとつに銘が入った、そのふくよかな柿の詰め合わせパッケージがあまりにも素敵で、すぐに解く気持になれないのです。家人や娘たちに見せてから、写真撮影もしてからと、ぐっと我慢をして先にブログを書くことに。

田村さんちのベランダでは季節の花々はもちろん、苺やそして干し柿までが手塩にかけて丹念に作られています。田村さんや奥さまのえつこさんご夫妻が、いかに天使のハートの持ち主かが伝わってくるライフスタイルなのです。

田村さんとパソコン音痴の私とは、もう5年余りものお付き合いになります。そして伸びやかなお心遣いにいつも気持を癒されています。

いま時間を見つけては年賀状を書いている最中ですが、ひとりひとりのお名前を見つめながら、多くの人にお世話になり、エールをいただいたりして、今年も暮れようとしているのを実感しています。

とりわけ私は、田村さんちの干し柿のように、心のこもったギフトにいつも大きな幸せを頂いています。

ハガキを書くことの多い私に、季節の押し花を丹精込めて作ってくれる2歳からの幼馴染がいます。金木犀の星屑のような花びらが美しく和紙に押されているのには、涙が零れ落ちそうになるのです。

ボランティア活動の中でのささやかな貢献を、今でも忘れないでいてくださる女性からは、長野のご実家の果樹園にたわわに実る林檎を毎年送ってくださいます。自家用にのみ作っていると言うことですが、その密で満たされた大ぶりの林檎の味は絶品です。そして、今流行のわらじを美しい布のコーディネートで作ってくださる京都の女性。

カナダの友人からは今年も手作りのカレンダーが届きました。日本の四季が独特の可憐なタッチで描かれていて、バンクーバー在住の日本人の心を支えてきた作品に違いありません。私はその絵に勝手に俳句を添えて、一年をスケジューリングさせてもっています。

一年前、家族の反対にあいながらもスイスの恋人の元へ行くことを決意したフランス女性がいます。彼女は素晴らしいアーティストでもあり、自作のアート写真と詩集をコラボレートした作品が今朝添付メールで着信しました。その英語の詩には彼女の未来へのVISIONがこめられています。そしてその思いは私が想像していた通りの彼女の答えでした。

このような数々の美しい恩恵に与りながら、私自身は他者のためにどれほど役立つことができた一年だったろうかと振り返っています。

12月は心のバランスシートをしっかり見つめてみたいと思います。

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チベットの暮らし

その美しい自然と素朴な暮らしぶり、人々の目の輝きに魂を奪われました!

NHKハイビジョンで放映された「チベット夢の配達人」。数十キロも離れた村々を巡回しながら映画を上映する一人の男性の記録を追ったものです。

小学校の校庭に吊るされた大スクリーンで見た鞍馬天狗。それは私の小学校低学年のことでしたが、チベットという大自然の中に生きる人々の生活はそんな時間軸で比較することは到底できません。村々の小さな家の壁に吊るされた小さなスクリーンの前で、村人は大地に腰を下ろし、肩を寄せ合いながら、布のよじれた画面に映し出される物語に見入ります。

この巡回映画隊を20年にわたり続けているのはトトさんという男性。魅力的な人柄でした。彼が村にやってくると、子供たちが取り巻き、活気付きます。その子供たちの美しさに息を呑みました。朗らかに笑い、その目は未来への希望で輝いているように見えます。学校の数も少なく、家庭では労働力として働く子供たちです。

母親は何百回と読み聞かせてボロボロになった本を、今日もまた読みます。そして長女に向かって語ります。「よく勉強しなさい。そうすると着るものや、食べるものに困らないからね。よく勉強しないと人のためにも役に立つ人間になれないよ」と言う風に。遠く離れた小学校に通う長女は、将来女優になる夢を育んでいます。そんなチベットの少女たちの可憐な美しさに目を見張りました。

トトさんは一人の若者を後継者として隊を巡ります。しかし村々にはいまやっと電気工事が進みつつあります。電線が張られ、テレビが観られる日ももうすぐです。

テレビが普及していくことで、これらの村々は確実に変化していくことでしょう。トトさんと後継者の若者はそれでも巡回映画隊の仕事を続けていきたいと言います。

リリカルなチベットの山々と大地の道を、次の村まで重い映写機や発動機を負ぶって11時間という信じられない道のりを歩き始めました。

トトさんは言います。「映写会は人と人とがその場に寄り添い、触れ合うお祭りの場だから」と。テレビが普及してもトトさんの抱く使命感は変わらないようです。

私は2時間あまり、このシンプルで、美しい旅情的な画面の中の、小さな一つだけのスクリーンを追いながら、自分の住む世界が何かSFの世界のように感じられました。人間の頭や心では掴み取ることの出来ない膨大なヤミの中に住んでいるのを実感したのです。

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言葉遣い

ガスの給湯器の工事に初老の男性と茶髪の若者が二人連れで訪れました。

前半の取り外し工事やら下準備は若者が担当しているようでした。それとはなく聞こえてくる若者の言葉遣いに思わず耳を澄ませてしまいました。

それは見事な言葉遣いだったからです。最新式の器具を取り付ける段になると初老の人が主に作業を始めました。それで納得したのです。片方は師匠だったのですね。

それにしてもその茶髪の、いかにもヤンキー風の若者の折り目正しい日本語に感動しました。なぜなら最近の若者の言葉遣いの無鉄砲さにいつの間にか慣らされていたからです。そしてその意外性はおよそ4時間余りの時間をとてもいい気分にしてくれたのです。

師匠に仕事を学ぶという姿勢がその言葉遣いに現れていたこと。そしてその姿勢が仕事の質に対する安心感を依頼者である私にも与えました。

ノーベル賞を輩出した名古屋大学が教授を”さん”という敬称で呼ぶことを慣例としているそうです。”先生”をつけなくてもけじめのある日本語は可能なのです。

『風のガーデン』というテレビドラマを観ています。緒方拳さんの最後の作品となった倉本聡さん演出のドラマです。緒方拳さんが演じる老医師と孫たちとの会話が実に清々しいのです。その言葉遣いからは人間としての美しい距離感が伝わってきます。

言葉のもたらす感覚や感情、そして理性が、人の暮らしに安定した「フレーム」を与えているのだなぁと痛感します。

教育改革により理科や算数の時間が格段と増えるようですが、それらの習熟度アップのためには、言葉遣いの教育をまずベースにする必要がありそうです。

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The Big Issue

ホームレスだけが販売できる雑誌。300円です。

最近かなり知名度が上がってきたように思います。昨日街へ出で私も購入しました。ホームレスの社会復帰に貢献することを目的にして、1991年にイギリスで生まれ、現在世界で発行されているA4サイズの雑誌です。

大阪市はいちはやくこの「制度」を導入しています。大阪中央郵便局へわたる信号のところにベンダー(売る人)は背筋を伸ばして立っていました。しかし赤信号の間に購入する人はほんとうにまばらです。

空前の世界恐慌の波はとどまるところがありません。大手自動車メーカーが軒並み雇用打ち切りに踏み出しています。街頭インタビューに答えて、「このままでは私もホームレスになりかねない」という言葉が耳に響きます。ホームレスとはもはや特殊な人々ではなくなりつつあります。社会がどんどんホームレスを生み出しているからです。

ホームレスに陥った途端に社会から隔絶され、敗者復活が望めないとしたらそのことがとても恐ろしい気がします。だからこそ「The Big Issue」というシステムにはもっともっと関心を持ちたいと思います。というより社会全体でこのようなシステムをパワフルにしていく責務があると思います。

人間にとって最も絶望的なことは人間として認められないことです。ホームレスと言う言葉にはそんな危険性があります。そのダメージによって心身は一層蝕まれ、駆逐されていきます。パンがないことよりもそのほうが怖いのです。

その日限りのパンや水なら施すことも出来るでしょう。しかしそれは命への対処療法に過ぎません。ホームレスの方々が収入を得られる道を整備し、自ら生きる力を取り戻すことこそ本質的な救済です。彼らがこの雑誌の販売人となり、購買者と人間らしいコミュニケーションを取り戻すことに大きな意味があります。売り手は「ありがとう!」、買い手は「がんばって!」の一言で大きな波動を生み出すのです。

その仕組みは実に簡単でした。「The Big issue 」の販売権をホームレスだけに与えたからです。このような発想は他にもいろいろな道筋を生み出すように感じます。

12月は街頭やメディア通して寄付の勧誘が増えています。私の手元の振込み用紙はすでに数種類になりました。これらの従来の方法のみを踏襲するのではなく、いま社会には空前絶後の『アイディア』が必要です。誰も考え付かなかった方法です。そんなことを考えてみる師走の過ごし方もいいのでは。

自分サイズで出来る社会貢献をして、新年を迎えたいと思います。

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