界面遊泳
インターフェースという言葉がありますね。パソコンを接続する意味でも用います。
語意は界面、境界面、共通領域。中間地点と解釈すると、いろいろと含蓄がありそうです。
白か黒か、右か左か、はたまた意識か無意識か。ものごとにはそれらの中間地点という領域があって、相反する2つの場所を、調和させたり、橋渡しをしたり、繋げたりしている場所があることが、この年齢になってよく理解できるようになりました。
若い頃はツンツンに尖っていたものが、年齢を重ねて丸くなるとはこういうことを言うのかもしれません。それは決して主義主張があいまいになったのではありません。むしろ自分自身はより明快になり、その結果、界面という領域が良く見えるようになったのです。両者の言い分はよくわかるというあの感覚です。
界面を泳ぐ習慣が身につくと、そうだ!そうだ!という共感盛り上がり度は幾分低調にならざるを得ません。現象面としては少々勢いがなくなります。ともすれば一人の時間を愛しがちになります。しかし、真の意味で優しさの修行ができるのです。
この優しさという概念の受け留め方にはかなりの個人差があるように思います。自己主張をしないで、終始穏やかで、そうかそうかというイエスパーソンが一見優しい人と思われがちですが、しかしほんとうの優しさには強さが必要です。
言うべきことははっきり示し、たとえ自分がどう思われようと、他者のために必要なときには心を鬼にすることができる強さです。
そんな強くて優しい視点を養うのに最適な場所、それが界面なのかなぁと感じています。
そこでは心身をおもいきり伸びやかに解き放ち、無の境地に遊びます。最近そんなひとときが過ごせるようになってきたのが大きな喜びです。
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