古池に蛙は飛びこまなかった!
長谷川櫂さんの講演会に行ってきました。そのタイトルが「古池に蛙は飛びこまなかった」です。
”古池や蛙飛びこむ水のおと”といえば松尾芭蕉の代表的な一句。そして誰しもが”古池に蛙が飛びこんだときに発した音”と思っていたことでしょう。
”古池や”という発句を俳句では切字といいます。この切字とは、ここでひとつの世界が完結し、この句の場合はその後に続く七・五とのあいだに”間”をつくります。
長谷川櫂さんのお話のテーマは、この『間』であり、間とは『和』であるということに繋がるものでした。
先ず切れのところで完結し間を置いたこの句は、蛙飛びこむ水の音という七・五が先に出来て、その後に、芭蕉の心の風景として「古池」というイメージが広がったというものです。こうしてこの句の後から、芭蕉の俳句には、現実の描写と心の風景という2つの世界が表現されるようになったそうです。
その後の一句に「さまざまの事おもひ出す桜かな」があります。これも桜は目の前の情景であり、そのことにより「さまざまの事おもひ出す」という心象が繋がったのです。
このようにできるだけ違うものをもってくるのが『和』であり、和を可能にするのが『間』であり、間をつくるのが俳句の場合は『切れ』である。そして長谷川さんは日本の文化とは『間の文化』であるといいます。例えば夫婦の間にもある程度の『間』があることで『和』が生じるといいます。つまり異質なものが一緒に居ることが『和』なのです。
長い間その解釈を誤解されてきたという松尾芭蕉の有名な俳句を通して、実に含蓄のある文化論を拝聴してきました。
五・七・五という短いカタチの中に絶妙な調和を求めてみたい!と、句作への情熱を駆り立てられました。
配られた資料にもうひとつ興味深い一文がありましたので、そのまま転載します。
「家の作りやうは、夏をむねとすべし。冬はいかなる所にも住まる。暑き比わろき住居は、耐へがたき事なり。」吉田兼好『徒然草』五十五段。夏に涼風が通る家がよいのですね!
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